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ディレッタンティズム

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 写真は基本的には、撮影レンズの口径比、写真機の露光時間、撮影距離、の三つの要素で成立する。すなわち、絞り、シャッタースピード、ピントである。写真機は最低その三つが確実に操作できるものならそれでよい。半世紀ほど前には、その三つの操作をすべて機械的にコントロールする写真機しか存在しなかった。
 写真というすばらしい世界に足を踏み入れるために、写真機の操作に習熟しようとしたはずである。ピントを素早く確実に合わせるためにシャドーボクシングならぬ、シャドーシューティングをして、周囲の人間にあらぬ心配させた経験のある方も多いことだろう。
 釣りも世界中の多くの人間に愛好されている。嬉々としてフライを巻いている友人もいるし、多数の特製ルアーを整理して持ち歩いている友人もいる。狙ったポイントに正確にキャストするための練習を、きたるべきすばらしき日のために怠らない。ところで、プロの漁師は魚を穫るためにそんなことをするだろうか。おそらく少数の例外をのぞき、目的に対して最良の手段と道具を選び、例えば網か何かで一網打尽にするのであろう。とすればいったい、釣りの愛好家は、なにに至福の喜びを感じているというのか。
 現在カメラと呼ばれるものの変身ぶりには目をみはるものがある。フィルムの画面を細かく分割して明るさを測定する分割測光はいうにおよばず、光の波長の違いまで分別して測定するRGB測光なるものまで登場している。適正な露出を得るという目的のため、日夜技術者は踊る。その適正露出の値は開発者が決めるのだが、何十人ものプロに写真を実際に撮ってもらって、何万枚ものデータを記憶しているものもあるらしい。何十人ものプロが一緒に露出を決めているのだから、一発勝負の報道関係のプロのカメラマンにとっては、これ以上の機材は考えられない。
 その昔、巨大な光学式の距離計が、海に浮かんでいた時代があった。戦艦武蔵と大和の時代である。当時の日本光学と東京光学が威信をかけて製作した精密な距離計は艦橋に装備され、これで相手艦の距離を測定して、主砲を撃っていた。湾岸以降のハイテク使用の現代からみれば、実にいいかげんの時代であった。半世紀ほど前の写真機はピントをあわせるために、上部に距離計がついているタイプが主流であった。そのせいかどうか、今でも写真機の上部は軍艦部と呼ばれている。しかしだからといって、写真機を風呂に浮かべたりしてはならないのはいうまでもない。現代のカメラにも軍艦部はあるのだが距離計はもはやなくなり、オートフォーカスになっているものが主流である。こちらも、プロ以上に早くて正確である。
 何十人ものプロにささえられ露出は自動、ピントも迅速に合わせてくれる。ついでにフィルムまで、一秒あたり何枚も勝手に巻き上げてくれる。とても人間業ではない。人間はシャッターチャンスだけに集中できるというのが、それらの技術の正当化の呪文である。ただシャッターをきるだけ、である。
 特に本格的なデジタル一眼レフが登場してからは、報道の現場を中心にして、デジタル一眼レフへの置き換えが急速に進んでいる。分割オート測光、オートフォーカス、高速の連写機能は、その一網打尽のための機能として装備されているのが常識になりつつある。即時性が要求される分野のプロにとっては、革命的な機械であることは疑いようもない。おまけに、その場ですぐに画像も見たり、本社に送りつけたりすることが可能である。
 別に写真のプロでもなく、報道を職として選択しているわけでもない我々数寄者は悠々としてあわてず、なにもプロの漁師の真似をすることもなかろう。釣りという嗜好が文学にまでなり得るのに対し、写真という嗜好が文学になりにくかったのは、プロではない我々に少々ディレッタンティズムが不足していたためではなかろうか。

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この記事は著者が2007年1月31日に書いたものです。

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