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北の大地の宝石箱

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 写真機はドイツ産だが、車はフランス産でライオンのマークがついている。気まぐれで購入したが、一気に500キロぐらい走ってもまったく疲れないので本当に気に入っている。助手席の住人も同じことを言うから気のせいではない。ところが、同じフランスでも、料理の方は嫌いであった。母親の実家が金沢で、タイやヒラメがごちそうの環境で育ったから、完全に和食派である。フレンチでヒラメを使う料理は概ね、蒸したのか煮たのか味気のないポクッとした不味い切り身に、特有のソースが載っかっていて、ヒラメ好きの自分がフレンチを嫌う理由もここにあった。
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 大学時代から今まで20年以上、ふだんの食事といえば、単なる燃料補給の意味しかないほど忙しい毎日を過ごしていたから、たまには家内にせがまれて食事のために遠出をすることもある。まだ東京に住んでいた20代の頃は、結構多忙だった大学生活とアルバイトの合間を見つけて、旧軽にある万平まで一気に走っていって食事をすることもよくあったが、メインのフレンチが特別気に入っていたわけではなく、そこの "キール" が彼女のお気に入りだったからである。煮ても焼いても食えない身のほど知らずの生意気な20代、されどフレンチの方も、煮ても焼いても好きではなかった。
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 北海道は緯度から言うと南ヨーロッパにあたり、環境も似ているのか、フレンチ流の料理を食べさせる店も多い。愛する北の大地に移住してから、ウロコが落ちて、世界の広さを知ることになる。
 トップバッターは、ミシェル・ブラストーヤジャポン。ここで食事をするには、文字通り一気に400キロ以上は走らなければならないし、身分相応でもないから、気軽に行けるわけでもない。自分にとってはなんとなく場違いな感のあるウィンザーホテル洞爺の、最上階にある一応はフランス料理のカテゴリーの店である。
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 まったく美食家でもない自分は、好きな和食ではなくフレンチだからと期待もせずに訪れたのだが、目からウロコどころか、しばし呆然としていたことをいまだに覚えている。
 目の前に運ばれてくるどの料理もすべてメインといえる逸品で、既成のフレンチのコースのように魚のプレートと肉のプレートがメインという先入観は、はじめから簡単に崩れ去る。肉も魚も料理の次元が違うのは言わずもがな、自分が好きな野菜の旨いことといったら、ほとんど、宇宙のファンタジーである。写真のガルグイユー3連発をとくとご覧あれ。
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 そしてどの料理にもこだわりぬいた野菜が必ず添えられている。そのこだわりは、パンやバターにまでいきわたり、驚きは最後のデサートまで続く。
 面白い映画を見るときのように、文字通り時間を忘れて驚き楽しみ、気がつけば3時間近くが過ぎている。おかげでウィンザーでは他の店に行く機会を失ったままである。
 フランスに行く暇も金もない自分は、北海道に移住してはじめて、ストンと腑に落ちた。
 フレンチは、野菜がダメならすべてダメ、ということ。
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 それにしても、いったい、いかなる天才が作り上げた料理か、その何物にも似ていないオリジナリティ溢れる唯一無二のスタイルに、思わず、故スティーブ・ジョブスを思い浮かべたほどである。
 レストランのスタッフから聞いた話はほとんど伝説である。ミシェル・ブラスは、有名店で修行もせず、誰にも弟子入りせず、故郷であるオーブラック山地のライヨール村のオーベルジュで、母親から料理を教えてもらっただけで、以降は自分だけの料理世界を情熱を賭けて創り上げ、村から外出することはほとんどなかったという。
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 要するに、洞爺と同じぐらい自然に囲まれた場所で、地元の素材、とくに野菜を、いかに美味しく料理するかということだけをひとりで黙々と探求していた筋金入りのディレッタントである。
 ミシュランの3つ星になった後も、パリにもニューヨークにも東京にもまったく興味を示さず、自分の故郷に似た大自然と彼の目にかなう食材がある北海道の洞爺にだけ分店を開いた。2002年のことである。この世界中で、彼の料理は、ライヨール村洞爺でなければ味わえないということだ。
 自分の愛する北の大地の、まさに宝石箱である。
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 この高台にあるホテルに登る道すがら、エゾシカの親子に出会うこともある。北の大地の豊かさを目の当たりにして訪ねたレストランで、きれいに盛りつけられた鹿肉の料理が出されるなどという野暮は、ミシェル・ブラスの辞書にはあり得ない。ミシェル・ブラスは、故郷のライヨール村で普通に使う食材か、この北の大地で手に入るあたりまえの食材のみを厳選して使い、食材の奇異をてらうことはまずない。
 ワインのリストも相当なものらしいが、自分はワインがよくわからないので、いまさらどうしようもないから、いつもソムリエにおまかせである。
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ミシェル・ブラスは毎年11月に洞爺にやってくる。まさに孤高、痩身の老哲学者といった風貌の彼を目の前にして少し話をする機会に恵まれた自分は、その後、真剣に考え込んでしまった。
 サミットも終わり、落ち着きを取り戻したウィンザーホテル洞爺の中にあって、北海道の野菜や食材をいかに仕上げるのかということだけに持てる情熱を傾けるミシェル・ブラスは、儲かろうが、儲からなかろうが、知ったことではないのだろう。彼が洞爺の店を閉める知らせが届くのは、この北海道の大地が汚れたときということだ。
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 冬になると、いかにミシェル・ブラストーヤジャポンといえども予約に少し余裕があるようだ。
 普段の食事の回数を減らしてでも、長い雪の道を走って、尊敬すべきディレッタント、絶滅危惧種、ミシェル・ブラスのレストランに、また行きたくなっている自分がここにいる。

(写真は迷惑にならぬよう、 RICOH GR Digital II によるほとんど隠し撮り、クォリティの方はご勘弁いただきたい。)

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この記事は著者が2011年12月 8日に書いたものです。

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